マット・デイモンと
ベン・アフレックの名コンビ

1984年を舞台に、当時アディダスとコンバースに
バスケ業界を席巻されていたNIKE、
その部門の立て直しを命じられた主人公が
一人のバスケ選手と一足のシューズに
全てを賭け挑む姿を、
幼馴染として知られる二人が演じる
当時落ちぶれていたバスケットボール部門の
負け犬チーム達の、一発逆転の賭けと取引、
その誕生までの感動の実話。

今回は映画「AIR/エア」公開特別企画として
作中にも登場するAIR JORDAN 1の歴史を解説!


1985年、AIR JORDAN1が初めて発売され、
当時のバスケットボールシューズとは異なる
革新的なデザインと機能性が注目を集めました。

従来のバスケットボールシューズは、白い革で作られ、
単調なデザインでしたが、AIR JORDAN1は、
黒と赤(通称ブレッド)の配色を採用し、
革新的なデザインになっています。
当時のNIKEデザイナーであったピーター・ムーアが、
米陸軍航空軍のシャツに着ける
ピンバッジから着想を得た“ウイングロゴ”は
今なおジョーダンシリーズの
代表的なアイコンとなっています。

Michael Jordan(マイケル・ジョーダン)が
AIR JORDAN1を初めて着用したのは、
1984年9月15日『マディソン・スクエア・ガーデン』で
行われたプレシーズンマッチ。
シカゴ・ブルズのチームカラーが採用された
AIR JORDAN1ですが
1984年当時のNBAは規定が厳しく、
シューズ全体の面積に占める
白もしくは黒の割合が51%以上と言うルールが存在し
“ユニフォームの統一性”が
保たれていないことを理由に、
リーグ側からテクニカルファウルを
与えられてしまいます。

NBAはブルズに対しても
「公式戦で同じことが起こればチームに罰金を科す」
と警告し、AIR JORDAN1を
試合で着用することが困難に。
そんな中AIR JORDAN1を履くたび
一試合につき罰金5,000ドルを
NIKEが支払い続けたという逸話が残っています。

翌年1985年にAIR JORDAN1は晴れて正式にリリース。
NIKEはこの出来事を逆手にとって
“NBAはジョーダンにシューズの着用を禁止したが
君たちが履くことを禁止できない”
と謳ったCMを放送し、
今に至る爆発的な人気を獲得しました。


AIR JORDAN1がリリースされた1985年から
38年の月日が経った2023年現在、
AIR JORDANナンバリングシリーズは
35種類以上のリリースされており
ナンバリングシリーズ以外にも、特別なエディションや
カラーリングのバリエーションなども
多数リリースされています。

バスケットシューズの枠を超え
スニーカーアイコンになったAIR JORDANシリーズ。
時代を超え、今もなお多くのスニーカーヘッズや
バスケットボールファンに
愛され続けている不朽の名作スニーカー。
AIR JORDAN伝説は、
これからも続いていくことでしょう。